わらしべ長者という日本の昔話があります。結構有名な昔話で国語の教科書にも載っていた事もありご存知の方も多いのではないでしょうか。私も昔からよく知っている話でしたが、先日久しぶりにラジオでわらしべ長者の朗読を聴きどうにも腑に落ちない結末で首をかしげたのです。
わらしべ長者の物語は著書によって若干異なりますが、概ね以下のようなあらすじです。
目次
わらしべ長者のあらすじ
どれだけ働いても貧乏なままの男が、貧乏から脱するために藁にもすがる思いで観音様に願掛けをしました。すると観音様から「最初に触れた物を大事に持って旅に出なさい」とお告げをもらいます。男が観音堂から出ると蹴躓いて地面に手を付いてしまいました。その時最初に手に触れたものが一本の藁だったのです。
その一本の藁を大事に持って歩いていると、一匹のアブが顔の周りを飛び回りました。あまりにうるさいので男はアブを捕まえて藁に結びつけました。その後、とある母と子に出会い子どもが藁に結ばれたアブが欲しいと駄々をこねました。母にそのアブを譲ってくれないかと頼まれ仕方なく渡すと、お礼にみかんを3個もらいました。
更に歩いていくと喉の乾いた商人に出会い、みかんと上等な絹の反物との交換を提案されこれを承諾しました。
その後、今度は今にも倒れそうな馬と侍に出会いました。侍は急いでいるため馬を見捨てなければいけない状況にあり、男の絹の反物を見た侍は馬と反物を交換しろと言いました。男は弱った馬を手にする事となりました。馬は弱っていましたが水を飲ませると元気を取り戻しました。
馬に乗って旅を続けると、大きな屋敷にたどり着きました。ちょうど屋敷から出てきて旅に出ようとしていた屋敷の主人は男の馬に見惚れて譲って欲しいと申し出ました。そして代わりに屋敷の前の田んぼを譲ると。更に屋敷の留守も頼み3年以内に帰ってこなければ屋敷も譲ろうと言ったのです。
男はこれを承諾して屋敷の留守番をする事になりました。しかし、3年待っても5年待っても屋敷の主人が帰ってくる事はありませんでした。男はその後結婚もして一本の藁から裕福な暮らしを手に入れたわらしべ長者となりました。
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ここまでがわらしべ長者のあらすじです。冷静に見ると色々と突っ込みどころはありますが…。一本の藁を加工したらみかんになった。これは別に良いです。一本の藁では価値はありませんが、加工する事によって価値が出る。これは何もおかしくはありませんし現代社会でも言える事です。みかんが反物になった、これもまだあり得るでしょう。反物から馬は飛躍しすぎでしょうとは思いましたがここではスルーします。問題は最後の部分です。
屋敷の主人は何故帰ってこなかったのか
屋敷の主人はちょうど旅に出る所で男と出会い、馬と田んぼの交換を提案しました。更に見ず知らずの男に屋敷の留守まで頼んだのです。更に3年以内に帰ってこなかったら屋敷も譲ると言います。ここがもう普通には考えられない所です。ここが腑に落ちなかった所です。屋敷の主人が何者でどこへ行こうとしていたのかは作中には語られていません。何故、屋敷の主人は帰ってこなかったのかという所を考察してみました。
- 事故死
- 戦に行く途中だった
- 人生に疲れて自殺するつもりだった
- 別の場所で第二の人生を送るつもりだった
考えられる事を列挙してみました。
事故死
旅の途中で不運にも命を落としてしまった。それなら帰ってこなかった事にも合点がいきます。しかし、3年以内に帰ってこなかったら…という事を言っているのでこれはないかなと。
戦に行く途中だった
屋敷の主人がどこかの武家だったとすると、戦に出る途中だったのかもしれません。戦なら無事に帰ってこれる保証はありません。帰ってこられるなら3年後だと。これはありえそうです。
人生に疲れて自殺するつもりだった
いくらお金はあって裕福でも悩みはあるでしょう。人生に疲れて自殺するつもりで最初から帰るつもりはなかったのかもしれません。でもこれだと3年以内に帰ってこなかったら…とは言いませんよね。
別の場所で第二の人生を送るつもりだった
今の生活を捨てて別の場所で第二の人生を送るつもりだったというのはどうでしょう。その為に今ある田や屋敷などの資産はちょうど良く現れた男に譲ったという流れはおかしくありません。第二の人生が上手くいかなかったら帰ってくるつもりだったのでしょう。3年も経てば第二の人生も軌道にのったか失敗したかわかる筈なので、軌道に乗れば帰ってこなくなるでしょう。
おわりに
屋敷の主人が何故帰ってこなかったのか考察してみましたが、個人的に一番納得がいくのは「戦に行く途中だった」か「別の場所で第二の人生を送るつもりだった」のどちらかです。作中では語られていないので本当の所はわかりません。これは個人的な想像にすぎません。
腑に落ちない物語から何故こうなったのかと考えを巡らすのも面白いものですね。